​水引とは

水引とは紙をこよって紐状にし、そのよりが戻らないように上から水糊を引いた紐のこと。現在はさらにその上から色彩豊かな絹糸や綿糸などを巻いたものや、アルミ箔、光沢フィルム、ラメやパール入りのフィルムを巻き付けたものなどたくさんの種類があります。

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水引の産地

俗に水引産地とは2つの場合を指します。

一つは水引そのものを生産するところ、もう一つは水引細工を生産するところです。

〈日本の水引二大産地〉

長野県(飯田水引)

愛媛県(伊予水引)※じゃぱかるは伊予水引を使用しています

〈主な水引細工の産地〉

長野県(飯田水引)

愛媛県(伊予水引)

福岡県(博多水引)

石川県(加賀水引)

伊予の伝統工芸士作品(鶴と亀)

水引の歴史

水引が歴史上に登場するのは室町時代ですが、それ以前からあったとされています。

室町時代に絶大な権力を誇った足利義満は天皇になり替わろうとしたほどの上昇志向の持ち主で公家(貴族)社会の礼法を武家にも取り入れようと考えました。また公家社会の礼法をそのまま引用するのではなく「武家には武家の礼法を」と考え、武家流の礼法を制定するよう家来(今川家・小笠原家・伊勢家)に命じたとされています。

その際に公家社会では贈答品にかける紐に使われていた麻紐が水引に変えられました。これは紐の種類を変えて違いを生むことだけが目的ではなく、武家は完全な縦社会であること、結びの形にはそれぞれに意味があることから誤解や失礼が絶対に生じないように結びの形の崩れない水引が適していたからなのではないかと想像できます。

またこの時から水引は、大切なものまたは貴重なものを誰かに渡す時に使用するもの。その相手に丁寧に、確実に意思を伝えるための結びの形が崩れない格式高い紐。という位置付けがなされました。

そしてこの武家流の礼法が江戸時代から徐々に一般市民に広まりはじめました。

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足利義満(Wikimedia Commons)

※武家の礼法は公家の礼法をマネてできたものなので、真の礼法は公家の礼法と言えます。しかし公家の礼法はその家系に口伝で引き継がれ、門外不出のため、一般社会に広まることはありませんでした。例えば現在でも天皇家の儀式は完全に閉じられ、中でどんなことが行われているのかを我々一般人が知ることはできません。

また公家の礼法のルーツは遣唐使によって中国との交流が盛んになった飛鳥時代(卑弥呼の時代)にまで遡ります。

​金封(結び)

金封に使われる水引の結びは、婚礼や弔事に使われる「あわじ結び」、その他のお祝い事に使われる「両輪(もろわな)結び(蝶結び)」があります。

金封の結び

「あわじ結び」はすべての結びの基本と言われる結びで、明治時代に考案されました。このあわじ結びの誕生を機に様々な結びや鶴、亀、松といった水引飾りが考案されました。

「両輪(もろわな)結び」は「あわじ結び」よりさらに古くからある結びで、室町時代の足利義光の命によって制定された折形礼法において登場しますが、実際にはさらに前からあったと思われます。

折形礼法における水引の結びは「真結び」「片輪(かたわな)結び」「両輪(もろわな)結び」の3種類だけで、それぞれの結びの意味は次にようになります。

  • 真結び(結び切り)…二度とあってはいけないことを意味し、婚礼と弔事に限って使われます。吉ごとは上向きになるよう、凶ごとは下向きになるように結ぶ。

  • 片輪(かたわな)結び…天に向かって伸びる陽のもの(木の花や弓矢など)を結ぶ。受け取り手が片手(右手)だけでほどけるようになっている結び。

  • 両輪(もろわな)結び(蝶結び)…陰を意味する結びで、大地に水平に広がる草花や平らな形をしたものを結ぶ。

折形礼法での水引の結び3種

〇昔と今

新しく誕生したあわじ結びは現在、真結びと同様に結び切りの結びとして扱われています。

そして真結びは吉と凶で結び目の向きが変えられていましたが、あわじ結びは吉凶どちらの場合でも同じ形で結ばれています。

また昔は出産祝いなどにお金を送るという風習がなかったのですが、現在はそうしたお祝いの際には両輪結びの金封を使うのがマナーとされています。

 

〇正しい礼法

結論から言うと、現代の金封マナーが正しい礼法に則った礼法であるとは言えません。

例えばあわじ結びが真結びと同様の結び(意味)として扱われていますが、いつ誰がどのようにしてそう決められたのかは定かではありません。また”あわじ結びは真結びの変形(アレンジ)”だから同じ扱いということも言われていますが、結び方も違えば結び目も違います。それなのに同じ扱いとなるのであれば、「蝶結びも片輪結びも真結びの変形」とできることになってしまいます。

また結び切りの結びとは”ほどけにくいこと”が大前提のはずですが、実際金封に使われているあわじ結びをほどくのは至極簡単です。

〇折形礼法の精神

時代によって形を変化していくことは良いことだと思いますが、本質や真意をまで変えてしまうことには疑問を感じます。

『あわじ結びは真結びと同じ扱い』としたかったのはなぜでしょう。

金封に蝶結びを採用したのは何故でしょう。

金封に使われる水引飾りの豪華さとそこに包む金額の大小をリンクさせるのはなぜでしょう。

それらを乏しい根拠で、さも正しい礼法(マナー)のように扱っているのはなぜでしょう。

折形礼法の精神は『快い人間関係築き、保っていく』ことにあります。

昔と今の違いがもし折形礼法の精神から生じたものでなく商業的な理由や利益優先的な思考が起因となっているのであれば、水引文化は今後さらに危うい存在になると想像できます。

水引の未来

現在、水引産業は斜陽産業になりつつあります。

水引の用途と言えば結納と金封でしたが、結納の機会はバブル経済崩壊以降減少の一途をたどり、現在水引産業を支えているのは金封です。しかしながらキャッシュレス化が加速する現代において、このまま金封文化が残る保証はどこにもありません。

 

水引はもう、役割を終えてしまったのでしょうか。

 

水引を含め、贈答品おける『結び』という意味では1400年前の飛鳥時代から受け継がれてきた文化です。時に権力者に利用され、時代背景に翻弄されながらも日本人の暮らしに根付いた存在となっていたのは何故かと考えた時、もしかしたら水引の存在意義とは『結ぶ』という行為そのものにあるのではないかと思うのです。

 

水引を結べばわかりますが、いくら経験を重ねていても邪念があれば結びは乱れます。

指先の小さな世界に神経と心を集中し、心を込める作業を積み重ねることで自分の内面と向き合い魂を磨いていく。水引を結ぶという行為にはそうした書道や茶道にも通じる世界があります。

水引には邪気を払う力があるとか、結びには神様がいて、結び目には神が宿ると言った表現が散見されるようになりました。ここで言う神様とは古事記に出てくる日本最初の神々「造化三神」のうちの二柱(神様は柱で数える)である高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、神産巣日神(カミムスヒノカミ)のことを指しているようです。

しかし、この二柱について現代語訳された古事記、関連書籍・資料などを調べてみましたが「結び」との関係についての記載や表現はありませんでした。

また、50年以上に渡って古事記を研究されている専門家がこの二柱について語られていた番組を拝聴しましたが、やはり結びとの関連について語られることはありませんでした。

ではなぜこのような根拠に乏しいことが真のものとして言われるようになったのでしょうか。

一つは、前述したように水引を結ぶという行為が精神性を有しているからなのではないでしょうか。

水引の役割は大切なものまたは貴重なものを誰かに渡す時にそれを紙で包み、結び留めることです。そして水引を結ぶという行為は渡す相手を思う心に始まり、綺麗に結ぼうとする意志と行為が自分自身の魂を洗練していくということから、水引や結びを神秘的なものとリンクさせてしまったのではないでしょうか。

もう一つは商業的な理由や利益優先的な思考からなのではないでしょうか。

SNSにある情報の真偽をきちんと確かめずに真のものとして扱うのは、その方が売り手にとって都合がいいからでしょう。神や仏を利用して物を売るという行為は詐欺でよく使われる手法ですから。

当然ですが水引の神格化という風潮は、水引文化にとって非常に危険です。

そして水引産業に限らず、利益に捉われ本質を見失ってしまった産業はいつか道を間違え、衰退を招いてしまいます。逆に言えば衰退を招いている業界はそのモノの本質的な価値や役割を置き去りにし、そこから外れた価値観や手段で事業を行ってしまっているのではないでしょうか。

繰り返しますが折形礼法の精神は『快い人間関係築き、保っていく』ことであり、水引はそれを体現してきた日本の文化です。

そして水引をはじめそうした日本人特有の精神や価値観を築いてきた文化や産業を次々に失うことは、これからの私たちの暮らしをどのように変えてしまうのか、一人ひとりが考え、想像する必要があるのではないでしょうか。